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いわぬま通信 最終号

市報うんなん2013年3月号

 
いわぬま通信 最終号
 雲南市から昨年4月より1年間、宮城県岩沼市に派遣された宮川勉主幹が近況報告しましたが、今回が最終号となりました。本当に1年間お疲れ様でした。
 
~ 一年を振り返って ~
宮城県岩沼市 宮川勉
 
被災した家屋(二の倉地区)    仙台空港周辺 
被災した家屋(二の倉地区)    仙台空港周辺 
給水に並ぶ人たち    避難所(農村改善センター) 
給水に並ぶ人たち    避難所(農村改善センター) 
 一言でいうと、“楽しいこと、苦しいこと、嬉しいこと、辛いことすべて詰まったあっという間の一年”でした。何とか無事に終えることができるのも、多くの皆様の励ましや支えがあってこそだと改めて感じています。
 初めて岩沼市を訪れたのは、震災発生から約2週間後の3月下旬。雪が散らつく寒さの中、辺り一面泥色で異様な臭いに包まれ、目の前にはこの世のものとは思えない凄まじい光景が広がっていました。避難所で暮らす子どもたちや泥だらけで奮闘する高校生ボランティアなど、当時の様子は本当に衝撃的で決して忘れることはありません。その後、全国市長会を通じて支援要請が寄せられた時“ここで決断しなければ、後できっと後悔する・・・”と思い、家族の理解や周りの協力もあって昨年4月に再びこの地を踏むことになったのです。
 赴任して間もない頃、亡くなられた方々の名簿の中に子どもたちの名前を見つけた時は、我が子と重なり目頭が熱くなったことを今でも思い出します。
 もうすぐ震災発生から丸2年が経とうとしていますが、先日ラジオで「復興はまだまだこれから・・・月日の経過とともに全国の人々から忘れ去られてしまうのが心配」との声を耳にしました。実際、地域によっては今でも多くの瓦礫が残されたまま、集団移転やまちづくり事業はいっこうに進まないなど、復興の足音は依然小さく、風化の波は益々大きくなっているのではと感じます。
 岩沼市職員として過ごしたこの一年、私にとっては本当に貴重な経験でした。自分の未熟さを改めて感じる一方、助け合いの気持ちや困難に立ち向かいながらも歩み続けることの大切さなど、多くを学び得たことは私の人生でかけがえのない財産となりました。共に歩んだ仲間たちの更なる活躍を祈りつつ、4月からまた新たな気持ちで頑張りたいと思っています。これまでの間、いろいろと激励して頂いた多くの皆様と心の支えになってくれた家族に、心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。本当にありがとう。ありがとう。ありがとう。 
 
「3.11世界が祈りはじめた日PLAY FOR JAPAN」より抜粋 
 
>>>大丈夫、未来あるよ。
千葉の友達から。
避難所でおじいさんが
「これからどうなるんだろう」
と漏らしたとき、
横に居た高校生ぐらいの男の子が、
「大丈夫、大人になったら僕らが絶対元に戻します」
って背中さすって言ってたらしい。
大丈夫、未来あるよ。 
 
>>>避難所で見た誇り
避難所で、4人家族なのに
「分け合って食べます」と
3つしかおにぎりをもらわない人を見た。
凍えるほど寒いのに、
毛布を譲り合う人を見た。
きちんと一列に並んで、
順番を守って物資を受け取る姿に、
日本人の誇りを見た。 
 
>>>息子を抱きしめた
隣で寝てる2歳の息子を抱きしめた。生きて。
涙が、堪えられなかった。ごめん。ここに書かせて。知人の話。
宮古市の人。津波で自分だけ生き残って、旦那と2人の子供が行方不明。
下の2歳の子の遺体を発見後、2日間抱いて過ごしたって。 
 
>>>思い出す母の言葉
亡くなった母が言っていた言葉を思い出す。
「人は奪い合えば足りないが分け合うと余る」。
被災地で実践されていた。
この国の東北の方々を、日本を、誇りに思います。 
 
 
 
 
 

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