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市報うんなん2015年4月号

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菅谷たたら歴史物語

第9弾に引き続き、高殿保存修理に併せて行った発掘調査で明らかになったことについてお伝えします

 
▲送風用土管
 

▲高殿石列

◆高殿外周の発掘調査
 あまり知られていませんが、高殿の後ろには「化粧の池」という小さな池があります。『語り部』には、夜が明けると高殿に鎮まる金屋子(かなやご)神(しん)(女神)が化粧の池でお化粧をされるため、神職の巫女(みこ)にあたる宇成(うなり)とよばれる女児(あるいは高齢の女性)が毎朝この扉を開けてあげるとされています。  
 実際には、この扉は小鉄戸口(こがねとぐち)とよばれ、砂鉄の搬入口でした。この扉がある高殿西壁に沿って雨だれを防ぐ排水施設が必要となったことから、壁沿いの屋根の下を発掘調査することになりました。  
 調査の結果、山から流れ出した土砂の下から壁に沿って石列が現れました。さらに石列の下からは雨落ち溝が見つかりました。溝といってもとても浅く、北側では岩盤を削って溝がつけてありました。雨落ち溝の下手では古い表土に大量の砂鉄が混じっていました。この砂鉄は現在、菅谷たたら高殿の中にある小鉄町に、たたらの原料として展示してあります。  
 高殿入口に向かって右手の壁が北壁になります。北壁沿いに地面を掘るとたたら炉に風を送る送風用の土管が現れました。土管は愛知県の常滑製(とこなめせい)で外径が34センチメートルもあります。土管は明治時代に作られましたが、製作した会社は現在も実在していることが分かりました。 このように高殿の発掘調査は、私たちに様々な情報を与えてくれました。


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