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市報うんなん2016年3月号

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いわぬま通信

平成26年4月より2年間、雲南市から宮城県岩沼市に復興支援のため派遣された小林弘典(こばやしひろのり)主幹が、平成23年3月11日に発生した東日本大震災から5年が経過し、ひとつの節目を迎えようとしている岩沼市の現状を報告します。

小林主幹

岩沼市の概要

岩沼市の地図

岩沼市は、人口は雲南市とほぼ同じ44,066人、面積は60.45㎢と雲南市の10分の1です。また、仙台市から南に約20kmに位置し、仙台空港がある宮城県の空の玄関口として多くの人が訪れるこの地で、未曾有の大震災によって181人の尊い命が失われました。
市域の48%が浸水し、住居の被害は市内全域で全壊736戸、大規模半壊509戸、半壊1,097戸、一部損壊3,086 戸、計5,428戸と甚大な被害を受け、震災直後は電気も水道も無い中、寒い体育館や公民館で新聞紙やカーテンを体に巻き、体を寄せ合っていたそうです。その当時の話をお聞きすると、津波が押し寄せる瞬間の様子や、必死に逃げるときの話を今でも昨日のことのように語っていただきました。

被災当時の様子

岩沼市の現状

岩沼市は「被災地の今」を少しでも伝えようと、復興のトップランナーとして全国に情報発信を行っています。
そのひとつとして、被災地で最初に集団移転先である「玉浦西(たまうらにし)地区」という新しい「まち」を完成させ、昨年7月19日には、まち開きが盛大に開催されました。
この新しい「まち」の街区は、震災前の6集落の枠を維持した形をとっており、一戸建て住宅157戸、災害公営住宅210戸が整備されています。また、今年の5月末には、宮城県で初めて仮設住宅の撤去が行われる予定となっています。

玉浦西地区

岩沼市での業務

私はこの2年間、農地のほ場整備と担い手の育成の仕事に携わらさせていただきました。
今回の震災で岩沼市では1,200haの農地が津波被害にあい、3年をかけ瓦礫の撤去、除塩作業を行った後、ほ場整備が始まりました。そして今年、津波の被害を受けた農地の87%が復旧し、待ちに待った本格的な営農が再開されます。
しかし、ここまで来るには大変な苦労があったそうです。震災当初は自分の生活を復興することが一番であり、津波で流された農機具を新たに整備して、営農を再開する力はなかったそうです。その中で「この地域を守る」ことをめざし、有志の方で7つの農事組合法人を設立し、新たな担い手として被災農地の大半を担うことになりました。営農も本格的に再開される今、地域の新たな雇用の場として期待されています。

岩沼市の農産物の紹介

震災以前からこの地域では米だけでなく、きゅうりや大豆、メロンが栽培されており、全国各地に出荷されています。
最近は白菜がクローズアップされ、新たな作物として、飲食店等と協力しながら生産と販路の拡大をめざした取り組みが行われています。
震災当時は「福島第一原発の放射能」問題で「風評被害」がありました。しかし、今は「放射能検査」は継続して実施されていますが、「安全安心宣言」がなされ、消費者の方も安心して購入していただけるようになりました。
また、震災後離れていた取引先が戻ってくるのに併せ、新たな販路の拡大も積極的に取り組まれ、今後の発展が期待されています。

メロン

 

最後になりましたが、この2年間、宮城県岩沼市に来て初めて分かったことやテレビ、新聞では伝えられない現実を目の当たりにし、被災者の「心の痛み」を知ることができました。ある農事組合法人では「小林さん、この地(元あった家)に帰ることであの日のことを思い出し、立ちすくむ人、二度と戻りたくないという人もいるんです。まだまだ終わってないんだよ」といわれた言葉が心に今でも突き刺さっています。
私は、この地から離れることになりますが、この地で見たことや学んだこと、感じたことを多くの人に伝え、そして、ここでつながった「縁」を大切にし、岩沼市を応援していきたいと思っています。
最後に、これまでお世話になった岩沼市の皆さん、そして応援していただいた雲南市の皆さんに感謝いたします。

岩沼市の皆さん


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