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市報うんなん2014年6月号

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菅谷たたら歴史物語

菅谷たたら歴史物語 第一弾「たたら」

雲南市吉田・掛合町地域の「たたら」調査研究に尽力された故田部清蔵(たなべせいぞう)さん。「祖先が苦労して築き、鉄と共に歩んできた、たたらの文化を消してはならない」との強い思いを抱かれ、12年の歳月をかけて執筆されたのが、平成9年(1997年)に自費出版された『語り部』でした。
この菅谷たたら歴史物語では、『語り部』に記された、たたらにまつわるお話を順次紹介していくこととしました。まず初回として、「たたら」とは何かを知っていただくために、田部さんが最初に記された、「たたら」の語源からお伝えします。

昭和53年ごろの菅谷たたら高殿
▲昭和53年ごろの菅谷たたら高殿

たたら製鉄の概要より ~たたらとよばれる言葉~

「たたら」という言葉はどうも日本語ではないといわれています。説はいろいろありますが、製鉄技術が渡来したときから鉄を造ることを、「たたらをする」といわれていたとする説が本当のように思われます。製鉄技術が、中央アジアから日本に伝わるまで約二千年の歳月があります。
(―中略―)
中央アジアのタタール人が鍛冶をしていたことを、「タタールする」と言われるようになり、それがなまって鍛冶をすることが「たたら」と呼ぶようになって日本に伝来したという説のように思われます。山内では、たたら操業のことを「たたらを吹く」といわれています。

次回は、たたら製鉄になくてはならない「砂鉄」についてご紹介します。


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