操業当時の様相を今に遺す
菅谷たたら山内
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たたら製鉄の歴史を物語る文化遺産「菅谷たたら山内」その佇まいは、製鉄の歴史、文化、技術を今に伝え、鉄師の息づかいまで伝わってくるような、そんな魅力ある山内を紹介します。 |
日本の製鉄文化の基底には、自然の中で培われた長い製鉄技術の歴史と伝統がある。製鉄の技術史を学ぼうとすれば、どうしてもその技術があった場所に立ち、その技術の実体を五感で感じることが必要になる。
その中にあって、菅谷たたらはかつて全国一の鉄の生産量を誇り、閉山後も全国で唯一現存する「山内」として、重要有形民俗文化財に指定されている。
たたら製鉄は、山間のごく限られた一体で営まれ、その製造現場と生活地区を総称して山内と呼ぶ。菅谷たたら山内の中心には、たたらの炉を有する高殿があり、事務所や出荷場所としての元小屋、そして米倉などの関連施設がある。それらの生産施設の周辺には、長屋(村下屋敷・三番屋敷)をはじめとした、たたら製鉄に従事した労働者の住居が今に残る。 |
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保存修理工事 |
菅谷たたら山内では、平成二十四年度から保存修理工事を進めている。修理前、集落内の建物は、経年劣化や積雪等の影響で破損や雨漏り等が進行している状況であった。そのため、主要な建物である高殿、元小屋から順に構造部の補強を含めた保存修理工事を進めており、平成二十八年度まで継続して行う予定である。なお、高殿は今年の秋に竣工予定である。 |
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解き、繕い、結び直す |
山内の中心施設である高殿は、昨年度より「解体修理」を行っている。ここで言う解体修理は、一般的な解体工事とは異なる。伝統工法を熟知した大工により、建物の部材は一本一本丁寧に解体され、腐朽部分のみ修繕し、再度組み上げられる。解体ではなく、「建物を解き、再度結び直す」という表現が適切だ。繕い材は、伝統的継手で古材と継がれ、古材の仕上げを踏襲し「手斧」で仕上げられる。補足された新材には、修理した年が焼印で記される。屋根は元々栗のこけら板で葺く全国的にも珍しい仕様であった。今回の修理でも、中国山地で採れた栗材を加工し、葺材に使用する。 |
解体中の高殿 |
大工による部材の繕い |
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復元する |
高殿には操業当時、「火打内」と呼ばれる屋根頂部の開口部が存在した。火打内は、操業時に、屋外の冷たい風を建物内部に取り込むための重要な機能を果たしており、鉄の品質を左右する重要な役割を担っていた。操業停止後、不要となり撤去されていた火打内を古写真や類例調査、古老への聞き取り等を行い、今回、復元する。
また、高殿の壁の一部には粗朶(雑木)による小舞が残されていた。主に竹が入手しにくい東北など寒冷地等にみられる仕様である。つまり、菅谷周辺も、創建当時は竹が身近に存在しなかったことを物語る。 |
高殿、火打内の復元(イメージ図) |
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鉄の「風土」 |
フィールドミュージアムへ
菅谷たたら山内を中心とした周辺地域は、かつて、自然と生産が調和した特有の鉄の「風土」があった。鉄の風土を築き上げたたたら師たちが、生業としての鉄づくりの技術を中心として、彼らの持っていた「感覚的な自然感」をどのように知り、後世へ伝えることが出来るのか。菅谷たたらフィールドミュージアムの意義はそこにある。菅谷たたら山内には、高殿や元小屋をはじめ、たたら製鉄生産に関わる施設や操業当時の人々の住居は辛うじて残されるものの、周辺の自然環境は崩れ、人の手の及ばない自然の力が、かつて山と共に生きてきた山内の姿をかき消しつつある。
菅谷たたら山内周辺の山々では、操業当時いたるところで砂鉄を採取するための「鉄穴流し」が行われていた。それは、自然の地形や植生、水利を巧みに利用し、最終的には鉄という産業製品を生み出す、いわば「前近代的な産業遺産」とも言うことができる。
西欧にはないある種独特な景観をもつ菅谷たたら山内と里山や渓流、鉄穴流し跡、集落の家並みなど周辺の自然環境や景観との一体感を如何に保存継承していくかが今後の課題である。 |
鉄穴流しの作業風景 |
菅谷たたら山内の様子(昭和初期) |
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