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祝 横浜ベースターズ入団 ガンバレ!!福山博之選手

市報うんなん2011年2月号

 
 
祝 横浜ベイスターズ入団 ガンバレ!!福山博之選手
 
 平成22年10月28日、大阪商業大学4年の福山博之さん(大東町遠所出身)はプロ野球のドラフト会議で横浜ベイスターズの6位指名を受けました。同球団へ入団した福山選手(背番号45)に意気込みなどを聞きました。
 
福山博之選手
 
プロフィール
ふくやま・ひろゆき●大阪商業大学4年。平成元年3月27日生まれ、21歳。174cm、70㎏。右投右打。小2の冬、大東西スポーツ少年団に入団。小6のときエースとして全国大会に出場。大東中では主将を務め、二塁手として県大会優勝。大東高では1年から二塁手のレギュラーとなり、2年の秋に中国大会に出場。一般入試で大商大へ入学後、投手へ転向。関西六大学リーグで通算46試合に登板し17勝11敗、防御率1.67、176奪三振。ベストナイン1回(21年秋)、最優秀投手1回(22年秋)受賞。球種は最速148キロの直球、カーブ、スライダー、チェンジアップ、フォーク。
 
横浜ベイスターズへの入団おめでとうございます。
 
Q
プロの世界へ進む今の気持ちを教えてください?
福山選手ただ、がんばるだけです。自信を持っていますし、「やるぞ!」という気持ちです。 
Q
これまでの15年間の野球人生を振り返って思うことはありますか? 
福山選手サッカーをやっていればよかったです。冗談です。小学生のころ、厳しい練習をしていました。全国大会にも出場しました。その中で勝つことの喜びや野球の楽しさを教わりました。あの厳しい練習やレベルの高い相手への挑戦など、多くの経験が今につながっていると思います。 
Q
どんな子どもでしたか? 
福山選手元気のいい子どもだったと思います。川で魚を捕ることが大好きでした。 
Q
子どもの頃はどんな夢を持っていましたか? 
福山選手夢というと覚えていません。強い高校に入って甲子園に出たいと思ったことがあります。 
Q
大学に入ってから投手に転向したのは、なぜですか? 
福山選手ピッチャーと内野手で迷っていました。高校の友達に「どっちがいいか?」たずねたら、「ピッチャー。性格も向いている」と言われました。小学生のころはピッチャーでしたし、またやろうと決意しました。 
Q
プロへ進もうと決心した理由を教えてください? 
福山選手大学に入った頃は教員免許を取って指導者になるつもりでした。しかし、自分がプレーするほうに夢中になってしまって。気がつくと周りの友達が就職活動を始めていましたが、スーツを着て就職活動する気になれませんでした。「野球を続けたい」という思いでプロを志願しました。ダメだったときのことは考えていませんでした。 
Q
日ごろ、心がけていることはありますか? 
福山選手「その日を大切に生きる」ということです。いつも楽しむことです。プロになったこれからは、一日一日、しっかりと勝負していきたいです。 
Q
どんな選手をめざしますか? 
福山選手たくさんの人に応援される選手になりたいです。まずは一軍に上がることですが。 
Q
福山選手の背中を追いかける少年たちにアドバイスをお願いします。 
福山選手プロをめざすこと(夢をもつこと)は大切なことです。それよりも野球を好きになること、楽しむことのほうが大切です。 
Q
最後に、福山選手の活躍を期待している雲南市民へメッセージをお願いします。 
福山選手自分の活躍がまちおこしにつながればいいと思います。精一杯がんばりますので、雲南市のみなさんの応援よろしくお願いします。 
 
 1月2日、ふるさとの大東交流センターで「福山博之君を応援する会」が開かれ、恩師や旧友らが福山選手を激励しました。 
 
父・静夫さんと母・知子さん
「まさか、息子がプロ野球選手になるとは夢にも思いませんでした。誰もが立てる場所ではありませんが、ようやくスタートラインについたところ。厳しい競争の世界を勝ち抜くのは大変だと思いますが、一日も早く一軍の試合に登板し、そして、長くユニフォームを着ていてほしいです」 
 父・静夫さんと母・知子さん 

福山選手が小学生時代に所属していた大東西スポーツ少年団で当時監督を務めていた杉原秀夫さん
「いつも元気いっぱいでした。冬に体育館で練習していたのに、雪の積もったグラウンドに裸足で出て行って、ずっと走っていた姿をよく覚えています。勝つために努力を惜しまない子でした。物おじしない性格も大きな武器だと思います。一軍のマウンドで投球する日が待ち遠しいです」 
福山選手が小学生時代に所属していた大東西スポーツ
少年団で当時監督を務めていた杉原秀夫さん
 
 
 
 
 

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