放射線医学の研究から白血病に侵され、また長崎に投下された原爆の洗礼を受けながらも、43歳でその生涯を閉じるまで、病床から「如己愛人」「平和を」のメッセージを全世界に訴え続けた永井隆博士。2月3日は、博士誕生からちょうど100年の節目の日となりました。
博士が多感な少年時代を過ごし、「生い立ちの地」としてしられる雲南市でも同日、三刀屋文化体育館アスパルを会場に誕生記念式が開催され、参加した市民らが博士の遺徳をしのび、平和への願いを新たにしました。
式典では、生誕100年顕彰事業実行委員会の陶山吉朗会長が、第2次大戦中に従軍した博士のエピソードを紹介。惨状下で多くの兵士の死に直面する中、決して滅びることのないものとして、「平和」=「人類愛」を希求するようになった博士の精神を、「雲南市民はしっかりと継承していかなければならない」と参加者に訴えました。
速水市長もあいさつし、雲南市が定める「平和を」の都市宣言に基づき、平和教育の充実に努め、博士の精神を後世につないでいくことを誓いました。
この日は、2日に亡くなられた筒井茅乃さん(博士の二女)に対しても、会場全体で深い哀悼の意を表しました。
記念式典終了後、馬頭琴奏者“NAGISA”さんによる「平和の祈りコンサート」が行われました。
NAGISAさんはモンゴル民謡に加え、「野ばら」「アメイジング・グレイス」といった馴染み深い曲も演奏。参加者らは、哀愁を漂わせながらも、優しく、温かな馬頭琴の音色に耳を傾け、心静かに平和の尊さを考えました。
最後は、長崎の地より平和を希求し続けた博士にちなみ、会場全体で「長崎の鐘」を合唱。誰もが、恒久平和を願い、博士の精神を継承することを誓いました。 |
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