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市報うんなん2014年9月号

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菅谷たたら歴史物語

菅谷たたら歴史物語 第四弾「鉄穴(かんな)流し」後編


▲「萱ノ鉄穴場跡(かやのかんなばあと)」左手に菅谷川が流れており、砂鉄を流す水路の川側には砂を排出する水路が作られています。菅谷たたら山内の古絵図にも描かれる鉄穴場がそのまま遺される貴重な遺跡です。

鉄穴(かんな)流しという言葉は、砂鉄をとるため川岸で砂を掘ります。するとその場所に穴が開き、その穴を鉄の穴と呼び、転じて山の土砂を流して砂鉄をとる方法を鉄穴流しとよぶようになったといわれています。初め頃は、山頂(峰)に水を引き、水と一緒に山頂から山を崩して下に流していたと想像されますが、だんだん大量に土砂を崩す方法が考えられ、井出(水路)を通し、長い柄(え)の内鍬(うちぐわ)で山を掘り込み、崖状にして上部(じょうぶ)の土砂を崩落させる方法になりました。鉄穴流し作業は、冬季間の仕事で農民にはまたとない副業となりました。一方農民はよい鉱脈(こうみゃく)を探して秋の彼岸(ひがん)からこの鉄穴流しを始めるまでに、水を引き、準備万端整えておくことになります。作業期間は、下流の農民の農耕との関係で秋の彼岸から春の彼岸までとされていました。この一期間で砂鉄が100トン採取できれば上々でありました。

次回は、たたら製鉄に欠かせない「木炭」についてご紹介します。


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