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地域に開かれたダムをめざして 尾原ダム55年を経て遂に竣工

市報うんなん2012年7月号

 
地域に開かれたダムをめざして 尾原ダム55年を経て遂に竣工
 斐伊川は、源を中国山地船通山に発し、往古からその流域に広大で肥沃な土地を形成し出雲地方の豊かな生活を育んできました。
しかし他方、明治6年から昭和10年代に亘って幾度となく氾濫を繰り返し、斐伊川住民に不安と被害を及ぼしてきました。
斐伊川本川の治水対策を検討する中で昭和32年に建設省と島根県により、斐伊川・宍道湖・中海総合開発計画の一環として治水調整を主体とし、発電・農業利水の機能をあわせもつ多目的ダムを造る構想が策定されました。その後、幾多の変遷を経て、本年3月末に尾原ダムが完成。6月3日奥出雲町体育館で竣工式が行われ、関係者ら320人が出席し、構想から半世紀以上を経ての完成を祝いました。

事業の経緯
 斐伊川の治水を考える中で、昭和32年、旧建設省と島根県が策定した「斐伊川・宍道湖・中海総合開発計画」では、斐伊川の治水対策として、中流部へのダムの築造計画が盛り込まれましたが、その候補地の一つとなった当時の雲南市木次町温泉地区では、予備調査の申し入れ以来、地元住民を挙げてダム建設反対運動が展開されました。
 昭和47年7月中国地方を襲った未曾有の集中豪雨によって斐伊川流域が甚大な被害を被り、また翌48年8月には松江市が大渇水に見舞われると、これを契機として策定された斐伊川・神戸川流域を洪水から守るための三点セット(上流では尾原ダム建設事業、中流部では神戸川放水路事業、下流域では大橋川改修など)、また洪水調節のほか水不足が慢性化している島根県東部地域、松江市・出雲市・雲南市への水道水の供給も含めた基本的な治水計画策定の動きが加速され、県は昭和50年10月「島根県百年の大計」と言われる「斐伊川・神戸川の洪水に関する計画」を発表、昭和54年11月にはその具体的内容が提示されました。
 尾原ダムは、志津見ダムとともにこの基本計画のダム建設・放水路・大橋川改修のいわゆる三点セットの一つに位置付けられ、流域の関係市町村が相次いでこれに同意する中、旧木次町もついに昭和60年3月、町議会において条件付で同意せざるを得ない状況に至りました。
 このダム建設によって旧木次町では北原地区・尾原地区の一部、計63戸の水没等、関係者が移転を余儀なくされ、生まれ育ったふるさとは集落のシンボルであった北原橋とともに湖底に沈んでしまい二度と姿を見せることがなくなりました。
 そして今、尾原ダムは下流域を水害から守り島根県東部出雲市、松江市、安来市の水道用水を供給する多目的ダムとして、着工から6年の歳月を経て竣工を果たしたところです。
 尾原ダムは、斐伊川水系最大のダムとなり、高さは90・0メートルで島根県内で建設中の第二浜田ダム(97・8メートル)に次いで第2位、堤頂の長さは約443メートル、総貯水容量は県内最大の6080万立方メートル、総事業費は約1260億円となっています。
 
尾原ダム大きさ
尾原ダム大きさ
  
尾原ダムの補償
尾原ダムの補償
  
尾原ダムの目的
《尾原ダムの目的》
 ◆洪水調節 斐伊川の洪水のピークを低減すると共に、斐伊川放水路とあいまって斐伊川下流部の洪水
  を低減します。
 ◆河川環境の保全 ダム下流の用水、河川に生息・生育する動植物の保護のために河川流量を確保しま
  す。
 ◆水道用水の供給 島根県東部地域の松江市、出雲市、安来市に1日最大3万8千m3の水道用水を供給
  します。
  
  
 
 
 

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