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永井隆記念館現在休館中です

永井隆記念館について

 永井隆記念館の正面玄関の写真

雲南市三刀屋町にある永井隆記念館には、博士の生涯に渡る写真や遺品が多数展示されています。長崎市永井隆記念館とは姉妹館です。この他、三刀屋町内には博士の生い立ちの家が残っており、博士を偲んで多くの人が見学に訪れます。

現在、施設整備のため休館中です。
2020年4月末の再開を予定しています。

アクセス

飛行機 出雲空港からタクシーで20分
鉄道 大阪方面から
JR山陰本線宍道駅下車タクシーで25分
またはJR木次線木次駅下車バスで20分
九州方面から
JR山陰本線出雲駅下車バスで40分 
大阪・九州・広島方面から
中国自動車道三次東JCT松江自動車道三刀屋木次ICより5分

記念館建設趣旨

永井隆博士は、まれに見る美しく、偉大な人間性の持ち主でありました。
神と人とに対する深い愛、忍耐と奉仕心、明朗な生活態度など私たちは博士に学ばねばならないことが多いと思います。
「己の如く人を愛せよ」この言葉を生活の指針に一生を貫き、「平和を」を悲願とし世界に訴え続け、「真理の探究」に命を捧げた博士の精神の顕彰と人々への浸透の必要性を痛感し、昭和45年10月に「永井隆記念館」が建設されました。
未来を担う青少年が、そうした博士の業績と人間性にふれ、自らを励ましながら有為な人材として育っていくことを念ずるものであります。

記念館の歩み

昭和43年7月 博士の母校飯石小学校区の有志から、当時の三刀屋町に対し「明治100年を記念して郷土の偉人永井隆の顕彰碑を建設したく協力願いたい。」との申し出がありました。これを受け、検討を重ねるうちに「顕彰碑」から「胸像」へ、更には、「記念館」建設へと顕彰の熱が高まっていきました。
昭和45年10月 上記発起から2年余を経過して、全国から約5,000名のご芳志を基に三刀屋町立「永井隆記念館」が竣工しました。
昭和45年10月20日 長崎市永井隆記念館と姉妹館になりました。
平成元年8月 回廊を排し顕彰室、図書室を拡張。
ギャラリーおよび収蔵庫を新設。駐車場を拡張整備。
平成5年7月 庭園の改修。
平成12年8月 顕彰室およびロビーの拡張。
展示ケースおよび説明機器等の更新。
平成16年11月 合併により雲南市「永井隆記念館」となりました。
平成20年5月 永井博士生誕100年を記念し、如己堂(複製)および庭園を整備。

構造・規模等

  • 構造:鉄筋コンクリート造 平屋建て
  • 建築面積:340平方メートル(延床面積:283.38平方メートル)
  • 施設:顕彰室、玄関ロビー、事務室、図書・研修室、収蔵庫、倉庫

展示品等

顕彰室
博士の遺作(書・絵画)
写真
書簡(手紙、ハガキ)
楽譜、アルバム(松江高等学校)、原爆救護報告書、永井家処方箋
褒章
表彰状、学位記、小学校修了証 など
昭和24年当時の新聞、長崎市立永井隆記念館関係資料
博士著書(長崎の鐘、この子を残してなど)、博士関係刊行書および資料
顕彰室
展示品の一例
音声ガイドタッチパネルの写真
音声ガイドタッチパネル
顕彰室内に設置されている音声ガイドは、博士の軌跡や館内の様子を日本語、英語、韓国語で紹介しています。

玄関ロビー

  • 広島・長崎の被爆石、被爆茶碗・かわら、縮小長崎「平和祈念像」等
  • 長崎市長の書、博士の詩、永井隆平和賞作品集等
長崎の被爆瓦
長崎の被爆校舎の壁

図書・研修室

戦後、博士は自宅の横に「うちらの本箱」と名づけた図書室を開設し、原爆で打ちひしがれた子どもたちに学びの場を提供しました。
これにならい、当記念館内にも図書室(うちらの本箱)を併設しています。
週に1回、幼児を対象にした絵本の読み聞かせ等も行っています。
博士は、図書室の使用に当り下記のような「おきて」を定め、子どもたちの
行儀作法にも心を配りました。

図書・研修室
永井隆博士の定めたおきて

屋外展示物

頌徳碑「永井隆頌」

頌徳碑「永井隆頌」

如己愛人
わが身にたいするごとく人に尽くし われを忘れて
人のために生涯を生きた 愛の人
平和を
人を愛するゆえに平和を愛し 重病の床から
世界に平和を訴え続けた 平和の使途
亡びぬものを
学問芸術を愛し 信仰を尊び つねにより高い
真善美にあこがれて
永遠に滅びぬ価値を追求しつづけた 努力の人
医学博士永井隆の人間性は
かくして人びとの心をうるおし世に輝いた

博士の面影が偲ばれる胸像

博士の面影が偲ばれる胸像

歌碑

歌碑の写真

新しき 朝の日差しの さしそむる
荒野にひびけ 長崎の鐘

永井 隆

如己堂(複製) 長崎市の許可およびご協力により建立

如己堂の写真

永井博士は、被爆後にタタミ2畳ほどの如己堂を建て、2人の子どもと暮らしました。
白血病に侵され、病床に伏しながらも世界中の人々に戦争の愚かさ、平和の尊さを訴え続けました。博士生誕100年を記念し、平成20年に本館前庭に建立しました。

永井隆博士

永井隆博士

雲南市三刀屋町は、永井隆博士が多感な少年時代を過ごした「生い立ちの地」です。博士は地元の飯石小学校を卒業した後、旧制松江中学校、旧制松江高校から長崎医料大学へと進み、大学での放射線医学の研究による白血病に加え、あの忌まわしい原爆に遭遇、以後病床に伏しながら、昭和26年5月(1951年)わずか四十三歳の若さでこの世を去りました。長崎の鐘」「この子を残して」などの名作を著し、全国の 人々に大きな感動を与えるとともに、「如己愛人」「平和を」の精神を世界に向かって訴え続けました。

永井隆博士と雲南市

永井博士生い立ちの家

永井隆(博士)は、明治41年2月3日厳父寛が働いていた松江市田野医院の一室で産声を上げました。

生まれて間もない隆は、父の医院開業のため両親とともに飯石村(現雲南市三刀屋町)へ移り住み、以後、この地が、永井家の本籍地となり博士のふるさとになりました。

自然豊かな飯石の里で、小学校を卒業するまで伸び伸びと育ちました。

医師を志し旧制松江中学、高等学校そして長崎医科大学へと進んだ隆は、在学中、度々帰省し家族や親戚の人たちと団らん、また、恩師や友人ともさかんに親交を深めています。

卒業後は、研究や医療活動、戦争動員など多忙の中、少ない機会を見つけて帰省し、親戚や近所の人たちへのあいさつ回りを欠かしませんでした。また、なかなか帰省できない分、こまめに手紙などの通信手段によりふるさとの人々との親交を図っています。

雲南市民は、「如己愛人」の精神で我を忘れ人々のために尽し、また、重病の床から世界に向けて「平和を」訴え続けた博士を誇りに思い、そして博士を顕彰しその精神に学ぼうとしています。平成17年11月には、「平和を」の都市宣言を行い、世界平和実現に努力することを誓いました。

現在、旧永井家住居および医院は、市が管理し当時のままの茅葺屋根姿で保存しています。

永井隆平和賞

永井隆平和賞授賞式

戦後、時が流れ、私たちの心の中でも戦争のイメージは次第に風化しつつあります。けれども戦争がないからといって、はたしてわたしたちは平和であるといえるでしょうか。日本でも、毎日さまざまな凶悪事件が発生し、学校では「いじめ」や「不登校」がなくなりません。世界を見渡せば、いまだに武力紛争が頻発しています。
平和を願い、人々を愛する心を育て、やさしく夢のある21世紀の地球をつくるため、平成3年度に「永井隆平和賞」を創設し、全国から「愛」と「平和」をテーマにした作文・小論文を毎年募集しています。


教育委員会 社会教育課
〒699-1392
島根県雲南市木次町里方521-1
Tel 0854-40-1073
Fax 0854-40-1079
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