●学校紹介 本校は、全校児童数34名、学級数4学級の小規模校です。また、原子病の研究や自らの病気もかえりみず、被害者の救護活動を行なったことで世界的に知られる永井隆博士の母校です。生い立ちの家が学校の近くにあり、博士を誇りに思う地域の方々の学校教育に対する関心は非常に高く、いろいろな面で協力していただいています。 また、学校は豊かな自然に囲まれています。学校の前には、博士が遊ばれた飯石川(佐久礼川)が流れています。今ではきれいな鯉が泳いでいます。校区内には、雲見の滝、飯石神社などの名所があります。ぜひお立ち寄りください。 |
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飯石小学校校歌 |
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1 太陽を 心にかざし 眉あげて 仰ぐみ空に 高瀬山 今朝も晴れたり 輝かし 飯石学舎 2 佐久礼川 清く流れて 昔より せせらぎやまず ともどもに いそしみ学び 睦み合う よき子よき人 3 山村に 光りあふれて 愛情の とけゆくところ 明日担う 若樹おのおの 花咲かむ 色とりどりに |
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| 右の |
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沿革の概要 |
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| 明治 | ||||
| 7. 4. 5 | 島根県第19中学区多久和小学校として創立し寿福寺 本堂を仮校舎として開校 | |||
| 15. 5.10 | 出雲国第147番区多久和小学校と改称 | |||
| 20. 3. 9 | 尋常小学校を多久和に、簡易小学校を上熊谷に置く | |||
| 25. 7. 1 | 上熊谷簡易小学校を廃し、飯石村に尋常小学校を置く | |||
| 32.10. 2 | 校舎新築落成、宮崎定吉氏宅より移転 | |||
| 42. 5.26 | 多久和516番地へ校舎新築 | |||
| 昭和 | ||||
| 2. 4. 1 | 多久和511番地へ校舎新築 | |||
| 16. 4. 1 | 学制改革により飯石国民学校と改称 | |||
| 22. 4. 1 | 学制改革により飯石村立飯石小学校と改称 | |||
| 28. 1.20 | 町村合併により三刀屋町立飯石小学校と改称 | |||
| 35. 9. 1 | 雲見中学校(S.29.10.12落成〜S.34.6.1三刀屋中学校 へ実質統合)校舎へ移転 | |||
| 36. 2.25 | 体育館新築落成 | |||
| 49. 9.22 | 開校100年記念式典を挙行 | |||
| 52.10.20 | 学校給食優良校として文部大臣表彰を受賞 | |||
| 54. 7.23 | 水泳プール竣工(25M 5コース 低学年用プール付き) | |||
| 63.11. 3 | 健康優良学校小規模校の部で全国表彰を受賞 | |||
| 平成 | ||||
| 1.11. 2 | 長崎市立山里小学校と姉妹校縁組の調印 | |||
| 1.11. 3 | 健康優良学校小規模校の部で全国表彰を受賞 | |||
| 2.11. 3 | 健康優良学校小規模校の部で全国優秀校の表彰を受賞 | |||
| 3. 7. 6 | 飯石小学校現在の校舎(多久和528番地)起工式 | |||
| 4. 3.31 | 新校舎竣工式 | |||
| 5. 2.17 | 新体育館竣工式 | |||
| 5.12 | 校舎周辺整備完了 | |||
| 7.11 | 長崎市立山里小学校に赴き、長崎平和・交流を始める | |||
| 9. 8. 8〜10 | 第2回長崎平和交流学習(長崎市立山里小学校) | |||
| 10.11. | 郡教研研究大会(三刀屋大会)共同開催 | |||
| 11. 8. 8〜10 | 第3回長崎平和交流学習(長崎市立山里小学校) | |||
| 12. 11.15 | 出雲教育事務所教育課程訪問指導 | |||
| 13. 8. 8〜10 | 第4回長崎平和交流学習(長崎市立山里小学校) | |||
| 15. 8. 8〜10 | 第5回長崎平和交流学習(長崎市立山里小学校) | |||
| 16.11.1 | 町村合併により雲南市立飯石小学校と改称 | |||
| 17.8.8〜10 | 第6回長崎平和交流学習(長崎市立山里小学校) | |||
| 19.8.8〜10 | 第7回長崎平和交流学習(長崎市立山里小学校) | |||
●交流校紹介 長崎市立山里小学校本校は、平成元年に、永井隆博士の平和希求の精神、隣人愛をなかだちにして、長崎市立山里小学校と姉妹校関係を締結しました。以来、手紙、ビデオレター等の交流を続ける中、平成7年には長崎平和交流学習旅行を実現しました。資料、書物に頼るのではなく、実際に博士が活動した地に立っての学習だったので子供たちにとって貴重な体験となりました。今年の夏休み、第5回目の交流学習旅行をしました。(児童数:約600名、所在地:長崎市橋口町)愛と平和のエリア(山里小周辺) 山里小学校と「あの子らの碑」について 昭和20年8月9日、長崎に原爆が投下され、山里小学校校区では1300名余の児童と職員、その親、兄弟姉妹の命が奪われた。この原爆でなくなった「あの子ら」の霊を慰めるとともに、幸いにして生き残った子どもたちが、人類が求めてやまない平和な世界への希望を永遠に持ち続けるようにと、この「あの子らの碑」は建立された。 この碑には、白みかげ石の中に、少女像をレリーフにした銅板がはめ込まれている。おかっぱ頭に、もんぺをはいた少女は、原爆の炎の中にひざまずき、天に向かって合掌し祈っている。碑には、作者の名もなく碑名もない小さな碑で、そばに立っている石柱には「平和を」、裏には「あの子らの碑」と永井博士の筆になる言葉が記されているだけである。 山里小学校では、毎年この碑の除幕式が行われた11月3日に、全校あげて碑の前で「平和祈念式」を行い平和への誓いを新たにしている。 |
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